あたらしい生活様式

数ヶ月前から私たちの生活は大きく変わった。

2020年のお正月のときには想像もできなかった日々を今、生きている。

汗だくでみんなマスクしてるだなんて誰が想像しただろう。遠くにも行けない、人と会って話すのがリスクと感じてしまう。

感覚的にも物理的にも私たちは否応なく変化した。とてもドラスティックに。

とはいえ、自分自身の仕事は基本的には制作中心、かつ元々インドア人間なので、外形的にはさほど変わらないのかもしれない。でも表現に対する向き合い方やこれからの在り方についてのビジョンは大きく変化したように思う。

以下、個人的な思考のあれこれを述べます。全然まとまってないけれど。

まず、作品を制作 →ギャラリーで展示・販売 → 再び制作 という既存のサイクルと手法に脆弱性を感じたし、そのシステムを当たり前のように享受していて、それ自体について一ミリも考えていなかったことを恥ずかしく思った。 

それは3月に東京で個展をした際、来てくれる人も購入してくれる人も少なくて、是非お越しくださいと宣伝することもできない状況ではじめて、はっきりと気づかされたこと。

「まあ無事にできてよかったよね」という慰めのような空虚な言葉を口にしながら、個人的にはもうこの既定路線にほぼ将来性を見出せないことを肌で感じた。

ではこれからどうしていくべきか 、、

「絵を描く」という行為は自分の中のかなりの部分を占めている。でもやっぱりそれオンリーだとだめなのだ。画面の中に100%のエネルギーを注ぎこむことは素晴らしいことなのかもしれないけれど、今回のような何が起きるかわからない世の中をより良く楽しく生きるには、もう少し俯瞰的な視野を持つ必要がある。それをきっかけに、頑なだった(隠れ)作品至上主義の自分とは自然に決別できたのではないかと思う。

手探りながらしたこと(していること)

・自作のぬりえを作って配布 

・回収してアーティスト数名と座談会  

・デジタルぬりえの展示 

・去年かかわったこどもたちに手紙を書く

・人前で話すこと、姿を晒すこと(オンライン含む) 

・にわかyoutubersでの活動( 乞うご期待!)

「可能なリソースを使って今何ができるか」

「変化を楽しみたい」

この二つのことを今いちばん考えている。

そして「自分にはできない」から「とりあえずやってみる 」にシフトした。

それが自分にとっての「あたらしい生活様式」なのだと思う。

新聞に載せてもらいました

開催中の展覧会「絵画のミカタ」展について、地元紙である上毛新聞さんに紹介していただきました。

私の作品写真が載っていなかったのはちょっと残念でしたが(上毛さーん!あんなにたくさん写真撮ったのに・・)、新たな取り組みである「デジタルぬりえ」について別枠で大きく取り上げていただけけて、とてもうれしかったです。

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ちょうど掲載日は私の誕生日で、歳をとった当日なのにそれが載ってしまうのか・・と少々悲しかったのですが、なぜか年齢表記がありませんでした! やったー

記者さんに年齢表記についてぶーぶー文句を言ったのが功を奏したのでしょうか。

年齢を隠したいわけじゃないので、経歴として「〇〇年生まれ」と出るのは全く構わないのですが、名前のあとにカッコで数字が入るシステム、あれいらないですよね?

新たな慣習になるといいな。

余談ですが、お誕生日は美味しいものをたくさん食べました。

お昼は友人たちとラーメン、夜は家族と鰻重。

自分でちょっと高いマンゴーを買って一人で全部食べる、というのもやりました。

41歳も今まで通り、悩みながらも楽しく過ごすつもりです。

展覧会のお知らせ

群馬県立近代美術館で開催中の展覧会「絵画のミカタ」に参加しています。


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5人の現代作家が美術館の収蔵作品から数点選んで、自身の作品と紐付けながら展示しています。

私は第一章「世界をうつすー目に見えるものと絵画との間」で、司修、山口薫、南城一夫など群馬県ゆかりの作家と、自作の6点を構成しました。各作家ごとに自分の視点(ミカタ)も掲示しています。

作家の視点を足掛かりにして、両方の作品をより深く楽しめるような企画です。

コロナ対策として入り口での検温と用紙記入がありますが、予約や入場制限などは行っておらず、比較的ゆっくりと見ていただけるかと思います。

同時開催の「catch the eyes-目から心へ」も同チケットでご覧いただけます。

北関東方面へお越しの際は、ぜひぜひよろしくお願いします。

2019年に観た映画

2020年に入って相当経ってしまった今、これを書くのは気が引けるのだけど、

昨年末から3月まで個展の準備で死にかけていたので、全く時間が取れなかった。

こんなの読んでる人は全然いないだろうけど、数少ない趣味である映画鑑賞については

毎年記しておきたい気がする。

なので比較的時間があるコロナ禍の今、去年観た映画について振り返ってみようと思う。

去年は48本の映画を観た。

去年観たなかで最も心惹かれたのは

イ・チャンドンの「バーニング 劇場版」である。

村上春樹の短編「納屋を焼く」の映画化。

元の小説と舞台も登場人物の年齢もちがうけれど、なんというか正しい映画化という感じがするし

こうあって然るべきというリアリティがある。

終始不穏なムードに満ちているのだが、時折ハッとするほど美しい。

そしてその美しさには既視感があるなと思った。

小さい頃体験した圧倒的な夕暮れを思い出した。刹那的な美しさと不安。

やっぱりイ・チャンドンは光を扱うのがめちゃめちゃうまくて舌を巻いてしまう。

シークレットサンシャインもすごく良いけど、私はこれが一番好き。

隣の県のミニシアターで観たのだが、一人で運転して帰る道すがら、行きとは違う世界に迷い込んでしまったような気がした。時折静かに納屋が燃えてしまう世界に。 ぶるぶる。

今年は監督別に時系列で作品を追ってみた。

先に書いたイ・チャンドンもそう。 他には、

テヴィッドリンチ、タルコフスキー、ホドロフスキー、ポールトーマスアンダーソンetc.

ベルイマンも数本観たのだけど、これは田舎住みにとっては視聴までのハードルが高い。

レンタルにはほぼないし、サブスクにもなかなかない。ディスクを買うしかないのかな。

誰か貸してくださいー 

処女の泉、仮面ペルソナ、野いちご、叫びとささやき はどうにか観たよ。 

映画作家別で作品を追っていくと、自分自身の作家性との相違点が見つかって楽しいし、

非常に勉強になる。今はフェリーニをもっと観てみたいと思っている。

というのも、フェリーニの8 1/2という作品にはほんとうに救われているからで、

これからも落ち込んだ時はお世話になるんじゃないかと思う。 

しかしこれもなかなか視聴までのハードルが高いのよね。 誰か・・

フェリーニで自意識を少しでも救済したい!と思ってます。

あと、2019年に観て良かったのは、

アルフォンソキュアロン 「ROMA」

珍しく号泣してしまった。

リューベンオストルンド 「ザ・スクエア思いやりの聖域」

あの猿のパフォーマンスが怖すぎて泣いた。

そして台湾旅行の直前に観た エドワードヤン「牯嶺街少年殺人事件」

4時間の長さにひるんでなかなか手が出なかったのだけど、思いきって観てよかった。

映画に流れていた空気を味わうことができて至福でした。

さてさて2020年ももう4分の1過ぎてしまったけれど、

今年はどんな出会いがあるだろうか。

今年は感染症のこともあるし、映画館にはあまり行けないかもしれないけれど

魂をゆさぶられる素敵な映画に会えるといいなと思っている。

ほとんどの場所に行かないうちに死ぬ

という話を先日友だちとしていて、久しぶりにキリンジの歌を思い出した。

あと何回、君と会えるか

あと何曲、曲作れるか

あと何回、食事できるか

今日が最期かもしれないんだ

(中略)

俺、まだ世界を見てない

永遠はもう半ばを過ぎてしまったみたい

 - KIRINJI 「時間がない」-

たしかに。

自分があとどれだけ作品を作れるかも気になるところだけど、

制作するより移動する方がタイムリミットが近い気がする。

フィジカルな問題が大きくかかわってくるし。

わたしはこれからサバンナで夕日を眺めることがあるのだろうか。

メキシコでタコスをほおばることがあるのだろうか。

そう考えると、うーん、どうもその実現の可能性は高くない気がしてくる。

国内だって行ったことのない場所ばかりなのに。

今年の夏に40になった。

楽観的に考えても、自由にあちこち行ったり来たりできるのはあと30年くらい?

余生なんて言葉は使いたくないけれど、自分の持ち時間を考えてしまう。

これから、見たことないものをどのくらい見られるのだろう。

これから、知らない土地の人たちとどのくらい触れあえるのだろう。

そう思うと、ほんと 時間がない。

作品をつくることについて

私は、この世知辛い世の中をなんとか生きていくために作品を作っている。

だれかのためではないし、発信したいメッセージもない。

絵を描くのは自分が息つぎをするための手段だ。

それなので、アーティストです と名乗ることに少し抵抗があるし、

いつも社会に対して申し訳ないような感覚を持っている。

それでも、ヘンリーダーガーのように生きることをしないのは、

それもまた不可能な生き方だからだ。

私には承認欲求がある。

夜な夜な猛烈な熱意でキャンバスに向かってできた作品を誰にも見せずに

押し入れにしまっておくなんてことはできない。

出来上がったらだれかに見て欲しいし、できたら評価されたい。

欲しいなんて言ってもらえたらすごくうれしい。

向上心とも言えるのかもしれないが、これは煩悩だ。

また、先日のあいちトリエンナーレのような政治的かつ時事的なアートシーンに

関わっているアーティストにも羨望に似たコンプレックスを抱いてしまう。

私の作品は、現実空間や時代性から距離をおいた四次元ポケットの中に存在している。

仮想空間と言ってもいいかもしれない。

そのようなおそろしく個人的な世界を日々ちまちまとつくっている自分ではあるが、

現実社会への興味はある。

むしろどちらかと言うと政治や世界情勢に関心があるほうの人間だと思う。

なので、自分の作品世界が政治的もしくは時事的なものごととは大きく一線を画する一方で、

そこにコミットすることの憧れを捨てきれない。

これは無いものねだりだろうか。

おそらくそう。

その証左として、私は作品至上主義者だ。

歴史的な意義より過程より、作品そのものが放つオーラにいつだって惹かれてしまう。

それがアートと接する際の狭量な視点だと頭でわかっていても。

では、歴史的/政治的な意義と作品自体の良さ(ここでは作品至上主義者的な意味での)

とは両立しうるものなのだろうか。

わからない。

わからないけどとんでもなく難しい気がする。

だいいち、そんなものを目指す時点で終わってるし。

今年になって外へ出て制作する機会が増えた。

地域のこども園で、子どもたちがふだん生活している空間の一角を間借りして

いつもの自分の制作を行う。

作る世界の内容は変わらないが、環境は一変する。お互いに。

私は先生でも○○ちゃんのママでもなく、ただ絵を描く人としてそこに存在する。

それが自分にとって、社会とのコミットという大変困難な課題の今のところの落としどころだ。

作品自体から発信したいメッセージはない。

しかし作品ができあがる過程に立ち会ってもらうことで、なにかしらの種をまくことが

できるならそれは、この上なくうれしいことだ。

そしていつもとちがう環境に身をおくことで、自分自身に生まれる(かもしれない)

変化もたいへん楽しみである。

夏の滞在制作(2)

滞在制作中、何度か子どもたちと絵の具であそぶ機会をもうけた。

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絵の具が乾かないうちに色を重ねてグラデーションを作る。

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その上から絵を描いてみる。

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好きな場所に展示してみる。

夏の滞在制作 (1)

ずいぶんと時間があいてしまった。

その間いろんなことがあった。世の中もわたし自身も。

そのあたりについてはまた記していこうと思う。

最近の話をします。

今年の夏は、前橋市内のこども園で滞在制作をしていた。

3月の個展が終わってから、ぬけがらのようになっていた時期を経て

ふと「大きい絵を描こう」と思った。

そして、それならばと今までの制作のスタイルも変えてみることにした。

今まで、先の個展にむけて内容をどうデザインしていたかというと

小作品を作りながらヒントとなるピースを拾いあつめ、それを足がかりにして

メインのビジュアルを作っていた。意図せず成り行きとして。

でも逆に、先に大きな舞台装置を作ってしまって、そこから物語を紡いでみるのはどうだろう。

作る順序を入れ替えてみよう。

舞台装置は空虚でよい、ここからはじまるから。でも物理的な大きさは必要だ。

そんなことで急きょ200号の作品を作ることになった。

となると、アトリエの問題が出てくる。自分の六畳の作業部屋ではむずかしい。

どこか外で制作したいなぁと思っていたところ、ありがたいことにこのような機会をいただけた。

ほんと幸運。今後の運を使い果たしていないか心配になる。

そんな制作環境を今回提供してくださったのは認定こども園 相愛館という園です。

自宅からも遠くない。しかも夜でも休日でも好きに制作していいよと鍵を貸していただいた。

それに加えて 壁が白い、天井が高い、空調完璧、水場とトイレがすぐ近くというありがたすぎる好環境。

徳を積まねば。

園の多目的ホールの壁、共用スペースの一角が制作スペースとなった。

わたしには公開制作の経験がない。

怠惰な姿をさらさないか、絵の具や粉塵その他さまざまな事でみなさんに迷惑かけないだろうかと

不安を残しながらも、園に通う日々がはじまった。

会期おわりました

個展「夢の続き」おわりました。

来てくださった方も、見に行きたいと思ってくださった方も

みんなみんなありがとう。


自分が描きたい絵を描いていられて、

周りのひとも応援してくれて、

ときどき発表する機会もあって、

感じたことを伝えてくれる人もいたりして、

とてもうれしいです。

これからも作品を作ります。

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