だめ偉人からの毛布

このごろ一段と冷えますね。

わたしの住む関東平野のはじっこにもこの冬初めての雪が降った。

カーテンを開けると広がるきらきらした世界。

ほんの5ミリくらいだけど、やはりいくつになってもわくわくする。

子どもが作った小さい雪だるまはお供え餅みたいでかわいい。

とけないように日の当たらないうす暗い北側に置いた。

最近、すきま時間を見つけては古い映画を観ている。

わたしが生まれる前後20年くらい。

タルコフスキー、ベルイマン、フェリーニ、リンチ など 

きっかけは友人のすすめだったのだけど、これが思いがけない癒しをくれた。

目に映るのは詩的で美しい世界。

そしてその世界の中は、

非現実的 記号的表現 子どもっぽいけど崇高な行い 理路が謎 説明しない 

過去と現在、夢と現実行ったり来たり 屈折した信仰 絡み合ってるけど愛 

みたいなことばかりなので、自分の生きてる日常がだいぶまともに思えるのだ。

前のnoteで 日常生活のまともがわからない悩みを書いたような気がするが、

そういう日々の小さいごちゃごちゃを別角度からさーっと流してくれるような力がある。

そして、見知ってはいるがいつになってもぜんぜん慣れない

「作品を作る」ということの背中をそっと押してくれる。

ありがとう、だめな偉人たち。

おじさんたちが葛藤しながら作り上げたものが、

何十年たっても人をあたためてますよーと伝えたい。