新聞に載せてもらいました

開催中の展覧会「絵画のミカタ」展について、地元紙である上毛新聞さんに紹介していただきました。

私の作品写真が載っていなかったのはちょっと残念でしたが(上毛さーん!あんなにたくさん写真撮ったのに・・)、新たな取り組みである「デジタルぬりえ」について別枠で大きく取り上げていただけけて、とてもうれしかったです。

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ちょうど掲載日は私の誕生日で、歳をとった当日なのにそれが載ってしまうのか・・と少々悲しかったのですが、なぜか年齢表記がありませんでした! やったー

記者さんに年齢表記についてぶーぶー文句を言ったのが功を奏したのでしょうか。

年齢を隠したいわけじゃないので、経歴として「〇〇年生まれ」と出るのは全く構わないのですが、名前のあとにカッコで数字が入るシステム、あれいらないですよね?

新たな慣習になるといいな。

余談ですが、お誕生日は美味しいものをたくさん食べました。

お昼は友人たちとラーメン、夜は家族と鰻重。

自分でちょっと高いマンゴーを買って一人で全部食べる、というのもやりました。

41歳も今まで通り、悩みながらも楽しく過ごすつもりです。

2019年に観た映画

2020年に入って相当経ってしまった今、これを書くのは気が引けるのだけど、

昨年末から3月まで個展の準備で死にかけていたので、全く時間が取れなかった。

こんなの読んでる人は全然いないだろうけど、数少ない趣味である映画鑑賞については

毎年記しておきたい気がする。

なので比較的時間があるコロナ禍の今、去年観た映画について振り返ってみようと思う。

去年は48本の映画を観た。

去年観たなかで最も心惹かれたのは

イ・チャンドンの「バーニング 劇場版」である。

村上春樹の短編「納屋を焼く」の映画化。

元の小説と舞台も登場人物の年齢もちがうけれど、なんというか正しい映画化という感じがするし

こうあって然るべきというリアリティがある。

終始不穏なムードに満ちているのだが、時折ハッとするほど美しい。

そしてその美しさには既視感があるなと思った。

小さい頃体験した圧倒的な夕暮れを思い出した。刹那的な美しさと不安。

やっぱりイ・チャンドンは光を扱うのがめちゃめちゃうまくて舌を巻いてしまう。

シークレットサンシャインもすごく良いけど、私はこれが一番好き。

隣の県のミニシアターで観たのだが、一人で運転して帰る道すがら、行きとは違う世界に迷い込んでしまったような気がした。時折静かに納屋が燃えてしまう世界に。 ぶるぶる。

今年は監督別に時系列で作品を追ってみた。

先に書いたイ・チャンドンもそう。 他には、

テヴィッドリンチ、タルコフスキー、ホドロフスキー、ポールトーマスアンダーソンetc.

ベルイマンも数本観たのだけど、これは田舎住みにとっては視聴までのハードルが高い。

レンタルにはほぼないし、サブスクにもなかなかない。ディスクを買うしかないのかな。

誰か貸してくださいー 

処女の泉、仮面ペルソナ、野いちご、叫びとささやき はどうにか観たよ。 

映画作家別で作品を追っていくと、自分自身の作家性との相違点が見つかって楽しいし、

非常に勉強になる。今はフェリーニをもっと観てみたいと思っている。

というのも、フェリーニの8 1/2という作品にはほんとうに救われているからで、

これからも落ち込んだ時はお世話になるんじゃないかと思う。 

しかしこれもなかなか視聴までのハードルが高いのよね。 誰か・・

フェリーニで自意識を少しでも救済したい!と思ってます。

あと、2019年に観て良かったのは、

アルフォンソキュアロン 「ROMA」

珍しく号泣してしまった。

リューベンオストルンド 「ザ・スクエア思いやりの聖域」

あの猿のパフォーマンスが怖すぎて泣いた。

そして台湾旅行の直前に観た エドワードヤン「牯嶺街少年殺人事件」

4時間の長さにひるんでなかなか手が出なかったのだけど、思いきって観てよかった。

映画に流れていた空気を味わうことができて至福でした。

さてさて2020年ももう4分の1過ぎてしまったけれど、

今年はどんな出会いがあるだろうか。

今年は感染症のこともあるし、映画館にはあまり行けないかもしれないけれど

魂をゆさぶられる素敵な映画に会えるといいなと思っている。