今回の展示を経て、自分の作品について少し考えが変わったような気がしている。
今感じていること、光が見えそうな方向について手探りながら綴ってみたいと思う。
その前に、ここ何年かの自分の作品の変化の経緯について。
10年ほど前、大学院の修了制作からはじめたsceneryという作品群は、文字通り風景画で、
闇の中の人工的な光を描いていた。
無人の空間に光と人の気配を重ねて画面を作る。
枚数を重ねると、当初のわくわく感は薄くなってきて、しだいに作業としての割合が多くなっていった。
構図や画材、制作手順の面でも自由度が少なかった。
自分の作品なのに。
はじめにその兆候に気がついたときに思いきって立ち止まって舵取りをしていたらと今は思う。
でもわたしはそうしなかった。
いつも締め切りに追われていたし、評価してくれる人がいたし、何よりも路頭に迷うのがこわかった。
そんなわけでずっと一つの光を描き続けた。
2016年の夏の終わり、銀座の画廊の壁にかけてある自分の絵の前に立って、
描くものを自分で作ってみようかな、とふと思った。
外からアイデアを連れてくるのに疲れたのなら、いま自分にあるもので作ればいいんだ、と。
そうして描きはじめたのが透明のモチーフだ。
遠くに離れてしまった作品の人格と自分の人格をいったん近づけたかった。
なぜ透明なのかについて。
現在の自分をよくよく観察してみると、時代や社会や風土や環境、まわりの人々の影響によって
ほとんどが形作られているのではないかと思えたから。
物理的な身体はたしかにここにある。
でも中身はけっこう曖昧で、だれでもまわりの色やかたちを反映させながら、
いつでも少しずつ変化している。
そんな人間や生き物の姿を透明なモチーフに投影させて描きはじめた。
小さい頃からずっと四角い絵の中の世界にしか興味がなかった。
四角い画面を入り口にして、その世界の中へ入り込む。
絵画はわたしにとってずっとそんな存在だった。
コンプレックスだったので口にしなかったけれど。
そんな自分がひょんな経緯から立体を作りはじめた。
そして今回、はじめての映像作品も制作した。
透明な私はいつも移り変わっている。
今はすこし広い場所に出られたのかもしれない。
作品を作る → 展示する → 売る という、今まで当たり前のように
してきた手順に対して、立ち止まって考える時期なのだとも思う。
− Question
立体と平面と映像を展示することについて
それらの関係性をどう置くのか
モチーフを作って舞台を作って、それを手で描く意味は?
描いたものを壁に展示するってどういうこと?
できることを伸ばすのか、できないことに挑戦するのか
既存の枠内(絵画の市場)で活動することについて
まわりの人や社会のために自分が力になれることがあるか